お知らせ

渡邊ノ綱 2019.08.29

現在の三田二丁目に含まれる地域の西半分は、三田綱町と呼ばれ、旧三田一丁目(現二丁目)とともに昔から、源ノ頼光の四天王の一人、
渡邊ノ綱の出生地と伝承されてきた所であり、綱に関する伝説の地が多い。
 綱の産湯の水を汲んだという井戸が當弘法寺の境内にあり、さらに同じ伝承を持つ井戸は近くのオーストラリア大使館や三井クラブの庭にもあるという。
三田二丁目東側の部分にあるイタリア大使館邸内の「綱が駒綱(こまつな)ぎの松」綱町と旧三田一丁目との間の「綱坂」赤羽町(現三田一丁目)の
三田高校前の「綱が手引き(てびき)坂」小山町(現在の三田一丁目)の当光寺、功運寺境内の「綱塚」等があげられる。
 芝区誌には次のように述べられている。「渡邊ノ綱は箕田源二(みたげんじ)と称し、安立郡箕田郷に居住したが驍勇を以って聞え後摂州渡邊に移って
源ノ頼光の四天王の一人として名を知られた。綱が京の羅生門で鬼(実際は鬼同丸という悪人)の片腕を斬り落してたおしたという物語は芝居の
「茨木(いばらぎ)」や、「戻橋(もどりばし)」に仕組まれ、誰一人知らぬもののない伝説である。



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